四月二十日午前八時二分。
皆さんは、こんな経験が一度はないだろうか。
遅刻しそうで、焦って走りまくって、間に合わなそう・もうダメだ…。と諦めた時に駅に響き渡るこの放送。
「信号機の故障で、現在上下線共に十分程の遅れが出ております…」
よっしゃぁっ!なんて心の中でガッツポーズをしてしまいますよね。
「人身事故」なんて言われてしまうとちょっと気が引けてしまうケド、何にせよ、
遅刻しそうな時の電車のトラブル程有り難いモノはないのです。
僕、「坂下涼二」は、今まさにその状態にあります。
もう少し早く駅に着いたかもしれないのですが、途中、誰かに呼ばれたような気がして立ち止まってしまったのですっ!
結局気のせいだったようですが、そのおかげで走りまくるハメに…。
まぁ、自業自得ですよね。
定刻よりも放送どおり十分程遅れてきた電車は超満員。
ため息を吐きながら乗り込みます。
…うぅ、ツライ。
乗り込む直前、僕は聞いてしまいました。駅員さんの会話を、信号機の故障の原因を…。
「何羽もの鳥が信号機をつついて壊したらしい」…鳥?
午前八時四十三分。
学校に着いた僕は、担任に遅延証明書を提出し、遅刻を信号機故障のせいにすることに成功した。
…本当は寝坊だというのはここだけの秘密。
職員室を後にし、僕は教室へと向かった。
その時僕は壊された信号機の事を考えていた。
鳥がつついて壊したなんて、そんなの聞いた事がない。カラスかなぁ?なんてぼんやり考えていた、その時。
「坂下!」
急に担任に呼ばれて職員室に逆戻り。
なんなんだ…?
「失礼します」
職員室で待っていた担任の後を追い、通されたのは、なんと校長室。
何かしでかした時はここに連れていかれると聞いたが、僕は身に覚えがない。
ドキドキしながら少し待つと、違うクラスの担任の先生が一人の男子生徒を引っ張ってきた。
その男子生徒はひどく不機嫌そうな顔で僕を見た。僕は唾を飲み込んで、その後に視線を反らした。
少ししか見てないけど、髪はキレイな金色だったなぁ…。
日本人、だよね?
「坂下君、だったかな?」
「はい」
突然声をかけられ、びっくりして返事をする。
裏声が出てしまい、緊張と焦り、驚きがすべて筒抜けになってしまった。
「こいつは遅刻の常習犯でね、今日の遅刻で処罰を与えることにしたんだ」
「はぁ…」
それでどうして僕が呼ばれるんだ?僕が処罰を決めるのかな?
「今日は信号機の故障で電車が遅れたそうじゃないか。君もそのせいで遅刻をしたんだろ?」
「そうですけど」
「こいつが君と同じ電車だったと言うんだよ。だから遅刻はその事故のせいだって言い張るんだよ」
それがなんだというのだろうか。事故で電車が遅れて、遅刻して。おかしいトコなんてないじゃないか。
「だからそれがどうしたんですか?」
僕は早くこの場から解放されたかった。いつまでも遠回しに言うなと、そう言いたかった。
「事故があった電車を、こいつは毎朝利用しているわけじゃないんだよ。だからおかしいと思って君を呼んだ。
正直に答えてくれ。君は今日の朝、こいつと一緒に学校にきたのか?」
…は?
僕は今日に限らず毎朝一人だ。
しかも目の前の金髪男は今初めて会ったぞ?一緒に来たわけないじゃんか。
ふと男の方を見ると、彼は僕を見て笑ってウインクをした。
…その直後。
「はい、僕は彼と一緒でした。僕が落とした定期を拾ってくれて、同じ学校だと分かって一緒にきたんです」
「そうだったのか。悪かったな、疑ったりして」
「もういいっス」
金髪男は笑って先生に言った。
ちょっと待て。
僕はそんな事言ってない。
口が勝手に動いたぞ?!
…あれっ?!声が出ない!なんでだ?!
「それじゃ、教室に戻りなさい」
「はぁい」
男は敬礼をし、笑顔で立ち上がる。
僕はワケが分からないまま、イスからゆっくりと立ち上がった。
…声はまだ出せない。
「おい、涼二!早く行くぞ!」
男は僕の腕を引っ張り、校長室を後にした。
午前九時十一分。
しばらく歩いた後、「ここらでいっか」と言って男は僕の口に手をかざした。
何をやってんのか、全く理解ができない。
「もうしゃべれるぜ。悪かったな、使っちまって」
「あ…」
本当だ、声が出る。
「じゃな!」
手を振って立ち去ろうとするヤツの腕を捕まえる。
このまま行かせるかっての!
「君は何者なんだよ!なんでさっき僕の口が勝手に動いた?君が何かしたんだろ?!」
「大声出すなよ」
ため息を吐き、男はめんどくさそうに後頭部をかいた。
スボンのポケットに手を入れ、黒い定期入れの中から青空をイメージしたらしき水色のカードを出した。
僕に差し出し、ニッと歯を見せて笑って立ち去った。
カードには、こう印刷されていた。
『<黒き書を操りし者>高橋潤平』
九時四十三分。
「涼二!」
教室に入るなり、僕の名を呼ぶあいつの名は「吉村秋人」。
秋人とは中学からの親友で、ずっと仲が良い。まぁ、親同士が仲良しってのも理由ですが。
「一限終わっちまったぜ?何してたんだよ」
「先生と話してて…」
先生と話していたのは事実だが、その後屋上でサボったのも事実。
途中から授業に加わるのが嫌で逃げた。
彼、秋人は高校入学を期に学校の近くに引っ越してしまったため、電車を使わずに学校に行ける。
僕と同じ電車を利用している人は、このクラスには女子が数人。既に教室で友人と楽しげに会話をしていた。
そのため、秋人は遅刻組の中に僕の姿がないのをおかしいと思ったのだろう。
ポケットの中にあるあの謎のカードの事を思い出し、僕は秋人に差し出した。
「なんだコレ?」
「おかしいだろ?黒き書ってなんの事だ?」
「…は?」
秋人は何言ってんだ?みたいな顔をして僕を見た。
「<学校一のアイドル・高橋潤平>としか書かれてねぇじゃん。黒き書って何?新しいゲームのアイテム?」
秋人は僕をバカにしたような言い方をした。
僕は秋人からカードを取り上げて、もう一度見てみた。
…やっぱり書かれてる。
<黒き書を操りし者>と、何度見ても書いてある。
角度によって見え方が違うのだろうか?
光に当てると違う文字が浮かぶのか?
いろんな事を試す僕を見て、秋人は大声で笑った。
午後四時十七分。
「りょーうじっ!帰ろうぜ!」
「ごめん。英語の補講があるんだ」
「はぁ?なんだそりゃ。…まぁせいぜい頑張れや!じゃなぁっ!」
教室から飛び出し、秋人と仲の良い男子数名と帰っていく。
はぁ。僕も帰りたい…。
午後五時二十九分。
サボった一限は、僕の嫌いな英語だった。
その時間に、どうやらノートと問題集を提出するはずだったらしいのだが(ノートはなんとか提出できた)、
問題集は提出できそうになく英語の先生に課題を出されてしまったのである。
英語が嫌いな僕にとっては最悪な時間だ。
まぁ、自業自得だけど、…早く帰りたい。
「坂下!」
「先生…」
まだ半分程しかできてないのに!先生は時計を見て、僕のプリントを覗き込んだ。
僕は恐る恐る先生の顔を見る。
先生は笑って言った。
「これくらいで見逃してやる!特別だからな!次はサボんなよ!」
「あっ、ありがとうございますっ!」
僕は鞄を持ち、先生に挨拶をして教室を出た。
苦痛から解放されたのが、とても嬉しかった。
午後五時四十一分。
「おーい、坂下…、あれ?あいつ逃げたのか?…ん?『用事があるので帰ります。課題は教卓の上に』だと?
…本当だ、全部終わってる。まぁ許してやるか!」
午後五時四十三分。
「わぁーっ!もう真っ暗じゃんか!」
春は夜が早く訪れる。学校を囲うように植えられた桜は、夜にはその美しさが引き立つ。
僕は夜桜が大好きだ。
「あっ!今日は寄るトコがめちゃめちゃあったんだ!しかも見たいテレビがありすぎるし!…急げば間に合うよねっ!」
独り言だが、遠くで「頑張れ」って言われたような気がした。
午後七時二十八分。
電車から降り、家までダッシュ!駅から結構離れてるから、バスに乗った方が近かったかな?
「…って、えぇっ?!」
交差点で事故が起きていた。車と車がぶつかったらしく、ボンネットがぐにゃりと曲がっている。
幸い両方の車の運転手は軽傷で済んだみたいだった。
「信号の故障らしいわよ」
「怪我が軽いのは奇跡らしいわね」
野次馬のオバサン達の会話を聞きながら、僕は走った。…また信号の故障。原因は鳥だったりして。
午後七時三十三分。
事故現場から離れた路地で信号待ちをしていたその時。
いつもは気に掛けることが全くない細い路地に目をやった。
方向的には家の方に出るみたいだし、もしかしたら近道かもしれない!
…皆さんも、いつもは全く気に掛けない道が気になって入ることってありますか?
一度はあるでしょう。
僕にとっては、これは「偶然」ではなく「幕開け」でしたが…。
午後七時四十一分。
「なんだ、こんな店があったのか」
しばらく行くと、どこにでもあるような喫茶店に辿り着いた。
看板には「疾風(シップウ)」と書かれている。灯りは付いており、こんな時間でも、ドアプレートは「ΟРЕΝ」だった。
既に僕の頭からは見たいテレビの事なんて消え去っていた。
足は店へと近づいていき、遂にドアを開けた。
引き立てのコーヒー豆の匂いが、僕を包み込んだ。
「こんばんは」
「どっ、どうも!」
にっこりと微笑む店主らしき男は、長い黒髪を後ろで束ね、たくさんのコーヒー豆を並べていた。
「どうぞ座ってください。何か飲みますか?」
「えっと、それじゃ、カフェオレをホットでお願いします」
「はい、お待ちください」
男は笑ってそう言い、カフェオレを作りはじめた。
店に流れる洋楽の落ち着いた曲調がホッと安心させる。すごく居心地がいい。
「はい、どうぞ」
「どうも」
男の笑顔につられて思わず笑顔で言った。
男が作ってくれたカフェオレは、とてもおいしかった。
まるで僕の好みをはじめから知っていたかのような、そんな的確な甘さ。僕は不思議でならなかった。
「こんな時間まで学校に?部活動ですか?塾?」
「あっ、いえ。どちらもやってません。補講で…」
「あははは。それは大変でしたね」
この人の笑顔は、あったかくて、この店みたいに安心する。と言うより、この店の居心地の良さの理由の一つとして、
この人の笑顔があるようだ。
「さてと」
カウンターから出て、ドアを開けていったん外へ出た。
僕は何をしてるんだろう?と思いながらカフェオレを飲み干した。
ふと時計を見る。
午後八時三分。
「もっ、もうこんな時間?!」
「焦らせちゃいましたか?ゆっくりしてていいですよ」
僕はようやく理解した。彼がいったん外に出たのは、ドアプレートのひっくり返すためだったのだ。
「いえ!閉店間際なのに、スイマセンでした!」
「私はかまいませんよ。いつも適当にやってますから。ですがそろそろ帰らないとご両親が心配しますしね」
「うちは放任主義なんで」
鞄から財布を出し、メニューを探す。
「あの、いくらですか?」
「いいですよ、お金は」
「そっ、そんなのっ!」
「開店サービス」
笑顔でそう言われ、何も言えなくなってしまった。
「あっ、涼二くん!何か落としましたよ!」
「あぁ、すいません」
渡されたのは、あのカードだった。財布を出した時に落ちたのだろう。
「…あの、涼二くん?聞いても、いいですか?」
「なんです?」
「このカード、なんて書いてあるか読んでもらえます?」
首を傾げてカードを受け取り、見たままを口にした。
「<黒き書を操りし者>高橋潤平って見えます。僕の友達は違う事言ってましたけど」
カードをポケットに入れ、店から出ようとする。
「涼二くん!」
「はい?」
「君に、話さなきゃいけない事があります。また、来ていただけますか?」
「わかりました。それじゃ、ごちそうさまでした」
店から少し離れて、ふと思った。
「僕、名乗ったっけ?」
振り返って見ると、既に店は暗くなっており、入り口に立つ一人の少女が目に入った。
この暗闇にもかかわらず、その長く美しい深紅の髪は光を放っているかのようだった。
僕と少女を風が包む。
少女の髪が風になびく。
その光景は、まるで絵画のようで。
僕はしばらく魅入ってしまった。
午後八時三十四分。