第六話「疾風と紅」

時は戻って、約十年前…。
 
「ハーヤテッ!」
「クレナイ!おはよ」
ハヤテ・クレナイ共に、当時十七歳。
魔法界の魔術学園で腕を磨く毎日を送っていた。
魔法界には、永遠の宝という別名がある、美しい華があった。
街の中心に位置する広場にある、<自由の華>である。
ガラスでできたその華は、魔法界の住人すべてに愛され、毎日美しく咲き誇っていた。
ハヤテとクレナイもまた、この華を愛する一人であった。
ハヤテとクレナイは、学園でも<天才魔術師>と言われる程の腕で、二人の夢は、この国の守護神となる事だった。
生まれ育ったこの国と、そしてあの美しい華を護るために。
「また悪がでたそうよ」
「今年にはいって五回目だ」
この年は、悪がとり憑いて国で暴れ回るという事件が起きていた。
いつ、どこで生まれるのかがわからない<悪>は、彼らにとって今一番の敵であった。
悪に身体を支配された者は、背に黒く大きな翼があるという。
悪がなぜ生み出されるのか、誰が生み出しているのか、それは誰にもわからなかった。
「ねぇハヤテ。私、正直言って恐いの」
「悪が?」
クレナイは弱々しく頷いた。
「いつか自分も悪に身体を支配されてこの国を傷つけるのがイヤなの。…あの華も、壊してしまうんじゃないかって」
クレナイは、自分の身体よりもこの国と自由の華を壊してしまう事の方が堪え難いという。
ハヤテはそんな彼女が愛しく思えて、そっと抱きしめた。
「大丈夫。僕が護るから…」
「ありがとう、ハヤテ…。…約束よ?」
彼女は、ハヤテの腕の中で不気味に微笑むのだった。
 
…そして、次の日に事件は起きた。
 
その日の朝、ハヤテはいつも起きる時間よりもかなり遅れて起床した。
学園への登校時間はとっくに過ぎ去り、すでに授業が始まっている時間だった。
「寝過ごしたっ!」
ハヤテは飛び起き、急いで身仕度を済ませる。
必要なモノを抱え、外に出た。
「…なんだよ、コレはっ!」
ハヤテが目にした光景は、「地獄」としか言いようのないモノだった。
真っ黒な雲が、空を包んでいる。
建物は焼けて崩れ落ち、緑は刃物のようなもので斬られており、人々は逃げ惑っている。
何故こんな事に?ハヤテは目の前で起こっている事が理解できなかった。
「クレナイ、クレナイっ!」
彼が思い浮べたのは、護ると約束した彼女の事だった。
無事でいてほしいと、願いながら彼女を捜した。
「クレナイー!どこにいるんだーっ!」
家にもおらず、治癒施設にも姿はなかった。
ハヤテはどこを捜せばいいのかなんて考えていなかった。
ただ彼女の傍にいたいと、そう思っていたのだ。
いつしか彼は自由の華がある広場に辿り着いていた。
こんな時でも美しく咲き誇り、見ている者の心を癒すかのようだった。
「クレナイ…っ!」
一ヶ所だけ、彼は行ってない場所があった。
…死体安置所だ。
そんな場所には絶対にいないと言い聞かせたが、もはや捜す場所はそこしか残されていなかった。
 
「…ハヤテ?」
ハヤテは後ろから聞こえるその声の主が一体誰なのか、振り返らなくてもわかっていた。
やっぱり生きていた!
嬉しさで、今すぐにでも抱きしめたいと思っていた。
「クレナイっ!…え?」
振り返った彼が見たのは、愛するクレナイの背から、あの黒い翼が在ったからだ。
…クレナイは、悪に身体を支配されてしまったのだ。
「ハヤテ。生きてたのね、よかった」
「クッ、クレナイ?その翼は…?」
「あぁ、コレ?」
クレナイは壊れ物を扱うかのように、翼にそっと触れた。
「美しいでしょ?」
「クレナイ!悪に支配されてしまったのか?!大丈夫!僕が護るからっ!」
「えぇそうね、ハヤテ」
クレナイは、黒い翼でふわりと飛び、ハヤテの胸の中に飛び込んだ。
「ねぇ、ハヤテ。ヒトは誰でも心に悪を持っているのよ。貴方だって、ほら、悪がある」
クレナイがそっとハヤテの胸に触れると、ハヤテの頭には様々な映像や声、文字が流れた。
…彼は、心の底では自由の華を自分のモノだけにしたいと思っていた。
だけどそれは自分の汚い欲望だからと、心の深く深くまで突き落としたモノだったのに。
クレナイが、引きずりだしてきたのだ。
「自由の華を、貴方だけのモノにしてしまえばいいじゃない。何も我慢する事なんてないわ。欲望にしたがって、何が悪いの?
さぁ、解放しなさい…」
「自由の、華…」
ハヤテの心の中で、何かが音を立てて砕けた。
ガラスが粉々になるように。それと同時に、ハヤテの中には別の人格が生まれたのだった。
「…あれは、あの華は僕のモノだっ!」
「そうよ、ハヤテ。アレは貴方のモノ。さぁ、自分自身の手でそれを取りなさい!」
ハヤテは迷う事無く華を掴み取った。
叫び声に似た声が、小さくハヤテの耳には響いた。
「手を離しなさい!その華はこの国のモノよ!」
ハヤテとクレナイの前に現われたのは、この国の姫、<リリアン・チェリーブロッサム・ルーリ>であった。
魔法界一の魔術の腕をもち、「最も強く、最も美しい」と言われる人物だった。
「これはこれはリリアン姫。どうなさったのです?」
「お前だな?この年に悪を目覚めさせたのは。お前は目的に近づき、その者の心の奥底に封じた欲望を引きずりだし…」
「そうして悪を目覚めさせたのよ!よくわかったわね」
クレナイの魂は、すでに悪が完全に支配していた。
ハヤテは悪が魂を蝕んでいくのを感じながら、クレナイの変わり果てた姿を見て涙した。
「クレナイ…」
「ハヤテか。…お前も、哀れな男だな。こんな女に騙されたのだから」
「だま、された?」
リリアンの言葉に反応し、ハヤテの顔つきが、変わった。
ハヤテの頭の中では自由の華の事など消えていた。
「ハヤテ。私を、護ってくれるのよね…?」
「クレナイ、僕を、騙していたのか?君は、僕の悪を目覚めさせる為だけに近づいたのか?」
クレナイは、蔑んだ笑いを浮かべてハヤテに触れた。
「貴方は、私を護ってくれればいいの。私の傍にいたいなら、ずっと私を護って…?」
ハヤテには誰を信じて誰を疑えばいいのかなど、判断できなかった。
大切にしたい、護りたいと思った女には「護ってほしい」と言われ、
この世界の頂点に立つ女には、「騙されている」と言われた。
クレナイを疑いたくないし、リリアンに信頼を寄せているわけでもない。
だけど、目の前のクレナイは悪に支配されてしまっている事だけは真実だと理解できた。
それだけでは、不十分な気がした。
「クレナイは、僕をどう思ってる?僕は君を愛してる。君の為なら、どんなことでもするよ!本当だ!…君の気持ちを、知りたい」
「よせ、ハヤテ!そいつを昔の綺麗なクレナイだと思ってはいけない!」
リリアンには、わかっていたのだ。二人の未来が。
これから起こる、すべてのことが。
そして、クレナイにもハヤテにも、それはわかってはいなかった。
クレナイには、もはや自分の野望と欲望しか見えていなかったのだ。
「もちろん愛しているわ、ハヤテ。私を愛してるなら…」
クレナイは、ハヤテを強く抱きしめて、耳元でそっと囁いた。
「私を愛してるなら、あの華を粉々にして?人間界に送って、人間界を私に頂戴?」
ハヤテの中で、何かが壊れた。
「ハヤテ!!」
ハヤテの背中には、黒い翼が在った。
先程とは、何もかもが違う。
悪に魂を支配され、ためらいや戸惑いが一切無くなった二人には、大好きだった華を粉々に壊す事など容易い事、そう、思われていた…。
「…?」
リリアンが目にしたのは、華に魔術をぶつけられず、動きを止めた二人の姿だった。
まだ二人が元に戻れる!そう確信したリリアンは、二人が元に戻れるきっかけをつくれるのではないかと考え、…自らの手で華を破壊した。
「何をなさってるのです?姫」
「これは、礼を言わねばなりませんね」
リリアンは杖を出し、二人を巨大な光の玉で包み込んだ。
「なっ!」
「コレは?!」
「<魔術封印>!」
二人の身体から、小さな光の玉がいくつも放出されていった。
「貴様っ!」
クレナイが自分の杖を出し、くるくると回しながら叫ぶ。
「<風術・大嵐>!」
風の巨大な渦が、リリアンの光の玉を吹き飛ばした。
「ちっ!」
「今のは魔術封じの最大術だな。…さすがだな、姫」
「ですがここまでのようですね。その術はかなりの体力を消耗するはず」
クレナイとハヤテは手を取り合い、華が咲いていたところに手をかざした。
「<開門>!!」
黒い扉が現われ、クレナイが少しだけ開く。
「この先が、人間界よ。…忘れモノ」
クレナイが指をパチンと鳴らすと、どこからともなく鳥が飛んできて、リリアンの首飾りを奪い取った。
「これが噂に聞く<適合者の魔術具>か。なかなかだな」
「人間に与えるのですか?」
クレナイは頷き、ハヤテの前に扉の中に消えた。
「さよなら、姫」
「待てッ!」
ハヤテが振り返り、冷たい目でリリアンを見た瞬間。
リリアンは最後の力を振り絞り、ハヤテを悪から解放しようと試みた。
「うわぁぁぁっ!」
「ハヤテ、お前は間違っている。心を闇で覆ってはいけない!」
「…っ!」
ハヤテの眼差しは、さっきよりも優しい感じがした。
だが、完全に悪から魂を解放されたわけではなかった。
「お前が完全に解放されるには、紅を救わねばならぬ。紅を、悪から解放してやるのだ、疾風!」
「璃々杏…」
ハヤテは、心に誓った。
クレナイを護ることと、クレナイを救うこと。
それができるのは、自分だけだと確信して…。
そして、ハヤテは扉の中へと足を踏み入れたのだった。
 
「ごめんね、二人とも。私ができるのは、これしかない。…幼なじみとして…」
リリアンもまた、心に誓った事がある。
自分も人間界へ行き、二人を救う、と。
リリアンには、わかっていた。
クレナイが悪に支配されたのは、自分のせいだ・ということを。
だからこそ、ハヤテだけにすべてを任せてはいけないと考えたのだ。
…紅と、決着をつけるために。
「…ココが人間界」
「空気が悪いですね」
二人が最初に行き着いた場所。
それは古ぼけた一軒の店の前だった。
中は荒れており、誰一人としていない。
「ハヤテ」クレナイが看板を指差し、ハヤテはそれを見た。
「…これは?」
「お前の名だな」
看板には、「疾風(シップウ)」と書かれていたのだ。
ハヤテは何だか嬉しくなり、ココを自分の住みかとする事にした。
ここで人間を捜し、武器を与え、自分達の代わりに華のカケラを捜させようとしたのだった。
人間達に捜させている間に、クレナイは自らもカケラを集め、部下も捜すと決めた。
限られた魔術を使い、二人は華を完成させる事だけしか考えていないように思えた。
だが、ハヤテはクレナイを救う方法を探り、クレナイもまた、リリアンに勝つ方法を求めていた。
己の目的の為に、二人は人間界での活動をはじめたのだった…。
 
そして十年後。
 
一人目の適合者、「高橋潤平」に出会い、魔術具を与え、カケラを集めるためには<勇者>が必要なのだと知った。
その後、魔術も体力も向上させたリリアン、いや、「和田法子」が二人目の適合者となったのだ。
そして数日が過ぎ、ようやく勇者を発見できた。
クレナイは鳥を操り、さまざまな事をした。
「電車を遅らせて、潤平と接触させる」
「英語の教師に成り済ましたクレナイが、涼二を帰らせ魔術でプリントを終わらせる」
「事故を起こし、ハヤテの店に招く」
すべてが、クレナイの手によって創られていたのだ。
だが、リリアンに魔術を封じられていたこともあり、法子がリリアンだとは見破れなかったようだが。
この時、ハヤテの心の中だけに生まれたモノがあった。
…仲間意識だ。
涼二達と一緒に活動しているうちに、彼らを仲間だと思うようになってきていたのだ。
クレナイのほうが、大切だ。そう自分に言い聞かせ、ハヤテはこの日を迎えた。
…誰にとっても、最後の戦いになるとわかっていた。
ハヤテは今、大切な仲間と大切なヒトの為に戦っているのだ。
そして、仲間の中に幼なじみがいたという事実。心は大きく揺れ、どうしたらいいのかわからなくなってきていた。
 
ただ、自分よりもクレナイを悪から解放することの方が大切だということはわかっていた。

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